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ブナ日記

ブナの木が大好き!ブウブウ文句も言ってます、てなことで ブログではブナと名のってます。カメキチのつれです。これは 私的備忘録です。

想い出

『老乱』を読んで 眠れなくなった

図書館で借りていた 昨日 読み終えました わたしの読後感想よりも アマゾンで紹介されていた ねじめ正一さんの感想(週刊文春 2017.01.03掲載)が ぴったりなので 転載させてもらいます(これって違法なんかな?) 認知症患者の心の内側をのぞく 私の母が認知…

話題のニュースから 思い出した人のこと

京都立医科大での虚偽診断書の作成容疑事件…学長、態度を一転して3月末で辞めるそうですね このニュースに 心から驚く人は少ないのでは? さもありなん、と わたしも そういう事を経験しましたので 名古屋第2日赤で出会った人① - ブナ日記 そのニュースから …

こころの中で生きているこども達のこと③

深夜勤の朝5時 まだ眠そうな子供たちにごめんね、と謝りながらの採血 白血球が減少中なら 毎日 採血の指示が出る 何度も刺すため 硬くなって 採血しにくくなってくる もう 諦めているというのか 健気に腕を出してくれる 長期入院の子どもたちは 素直すぎて… …

こころの中で生きているこども達のこと②

小児科病棟の個室には 白血病の子どもが多かったという印象が強い 1980年前後の勤務先での治療は 現在行われているものと比較にならないくらいのものだった 感染の危険が高くなってくると 一応ガウンテクニックして入室するとはいえ 無菌室とは程遠く 移植治…

こころの中で生きているこども達のこと①

もともと ここでは自分の両親のことや 仕事で出会った忘れがたい人々のことを書いておきたいと思って 書き始め、やっとここにたどり着けた 大津日赤勤務中は 自分も子育て真っ最中 勤務先は 小児科病棟 いったん白衣を脱げば 職場のことをクヨクヨ悩む間もな…

大津へ

教育実習もちゃんと故郷の中学校で終了 あとは教員試験を受けて…のはずが なんで? そんな大事なこと 電話で済ませるなんてね… もう 面接も済ませてからの事後報告❕ 戦後まもなく始まったラジオドラマを聞いていて 漠然と 子どもたちを相手に働きたいと かね…

福井病院③

福井での3年間 良かったことの一つは 父とつれあいの関係が グンと深まったこと 古いオートバイを譲られて 二人で遠出していた 息子が欲しかった父にとって かなりうれしかったはず 今も わたしの知らない父のこと つれあいの方が良く知っていたりして そん…

福井病院②

勤めたばかりで 病院の内情など 全く分からないわたしに声をかけてきたというのも 先のT先生の件と、福祉大卒業(アカの学校と言われていたそうな)と無縁ではなさそう なにがしかの戦力になるとの 思惑があったのだろう 当時 そんな風に利用されているとい…

福井病院①

配属は 整形外科病棟 新しい職場は いつだって 慣れるまでかなり時間がかかる 緊張の数日後 事務長に呼び出された ??? 「精神科の心理判定員の仕事をしてほしい」 はぁ~っ? 福祉大卒と言うだけで そんなことできるとも思えない 即答はできない どんな仕…

Uターンしたものの・・・

若い時代は 何でこうも計画性もなく 突っ走れるのやら… これでも つれあいよりは先を読んでいたつもりだった 2月には 岡田内科を辞め つれあいに頼み 福井日赤近くに借家をみつけ 卒業を待たず 引っ越しをした 保育園への手続きや 職探しを始めた 福井日赤へ…

名古屋時代②

名古屋での4年間は 今となっては あっという間 せっかく大学に行ったのに 思い出の多くは長女との時間 初めて高熱を出したとき(突発性発疹) 悪寒戦慄で 顔色も悪く ガタガタ震える娘 小児科勤務の経験など 役にも立たない 気が動転し、慌てて近医へと走っ…

名古屋の思い出

一番最初に住んだのは(妹と) 昭和区御器所 結婚後は リヤカーで引越した 昭和区川名町6丁目10-1(だと つれあいの記憶) 長い間 記念だからと本籍を移してなかったので 彼の運転免許はそうなっていた 一応玄関を入って 3畳の台所と6畳の部屋 トイレは 部…

岡田内科

自転車組合では お弁当持参 冬のある日 同僚が 近くの市場のサラダが美味しいというので 昼休みに出かけた その通り道 内科医院の看護婦募集の張り紙が たまたま目に留まったのが 転機になった ゆる~い雰囲気の 今の職場は 居心地が悪いわけではなかったが …

中部自転車工業協同組合で 事務員として働く

1974年4月 そこはレトロな建物の1階 事務長、課長、外まわりの多い男性職員以外に4人の女性職員(+わたし) 自転車組合員(日本の自転車メーカー)へ部品や資金の供給をになうのが主な仕事のようであった 新米の事務員の仕事は お茶出し、掃除、書類のコピ…

分かれ道

名古屋大学病院には 院内保育所があることを知り もちろん、そこもつれあいに 見学に行ってもらった 良さそうなので すぐ履歴書持参で面接を受けた だけど 4月もまじかに迫っても 病院からの返事がないまま 日が過ぎて行った そんな折 我が家に 名古屋第2日…

名古屋第2日赤で出会った人②

内科病棟でも 今振り返ると 個室の多い病棟だった 死=ステルベンを略して 患者さんがステルと言う 勤務中に 患者さんが亡くなるのが 妙に続くという事がある そんな時 お祓いしてこなくっちゃ~と 本気でいうNsも居る わたしは 看護婦人生通して 人の死に…

名古屋第2日赤で出会った人①

結婚式には コロニーの同僚も わざわざ 来てくれたし 婦長さんから お祝いの朝日新聞の1972年鑑誌も頂いた 内科病棟入院中の患者さんの娘さんまで 出席してくれたんだよ 森公美子さんみたいな優しい娘さん お母さんは 癌で入院中 ご主人が いつも付き添って…

新婚旅行

結婚式には コロニーの同僚や何故か 現職場の患者さんの娘さんも来てくださった 父は 来てくれなかった 裁判所の日直だから、というのが表向きの理由 存命中に確認したことはないが 多分(姉のこともあったし)お前もか…!と 心のどこかで どこの馬の骨か分か…

結婚

4月下旬 学校の授業がようやく始まる 5月 新しい職場は 名古屋第2日赤の小児科病棟 いよいよ 学校と仕事 それに妹との同居生活が始まった なのに そのころの記憶が ほとんどない 5月連休に 学校の行事で 一泊旅行があった ここに わたしは居ない つれあいは …

いざ、大学へ

大学で学ぼう!と決心して 次の休日に 春日井市へでて シンプルな机と椅子を買った それは 2002年 現在のマンションへ転居するまで ずっと 一緒だった 人生初めて 自分で買った家具 仕事時間以外は テレビも外へ遊びにも行けない山の中だから 勉強する時間は…

無駄なことなど 無い

「聞いてなかった」と言えるはずもなし 入院中の子供たちは 病院の特殊性もあり それまで出会ったことのない先天性の身体的な奇形を持つ子供たち 完全看護なので 親の付き添いはなく 面会時間が終わるとき 後ろ髪をひかれながら 親は帰っていく 正直、その頃…

聞いてなかったよ

愛知県の面接は名古屋市内だった コロニーへは 前日集合とのこと JR中央本線高蔵寺駅下車後 名鉄バスに乗り換える 随分と 遠い所へ来ちゃったなぁ…と だんだん心細くなる 着いてすぐ 大きな会議室でオリエンテーション たくさんの人が居た そこで 勤務先が中…

新米の看護婦は 失敗の連続

4月から 看護師として働き始めますが、国家試験の発表がある5月末までは仮免許です 勤務先は 胸部外科病棟です 結核菌の排菌のある一部の病室は 厳重なガウンテクニックが必須でしたが 肺腫瘍や喘息の患者さんもおられました 朝の申し送りが終わると バイタ…

看という字

手で 目で 対象を よく見る(観察)のだと 初めに教えられました ハンドパワー&眼力 それらの不思議な力 侮られませんね 相手にふれて 視線を合わすことで 見えないものが 通じ合うような感覚、ありますよね でも 看護学生の時は 手を握ることさえ 勇気のいる…

若さ

看護学校は 勧誘に来られた先生の言葉通り 月父からもらった小遣い3000円と 病院でのアルバイトでやりくりできたのだからね、今じゃ考えられない 月1度 福井から武生へ帰った (母は 相変わらずだったけれど) 自分のことで 手一杯のあの頃 当時の妹たちのこ…

べ~んは?

産婦人科学を教えてくださった田中先生? お名前はちょっとあやふやだけど… お顔と その独特の物腰は半世紀近く(‼)たった今も思い出せる 当時はカルテをドイツ語で書かれるDrも多い時代 田中Drは 分娩中 産婦に余計な不安を与えないように 学生にもドイツ語…

藤本先生

何の授業だったか忘れてしまったが 当時福井大学におられた藤本文朗先生が、看護学校へ教えに来られていた ベトちゃんドクちゃんの発達を願う会」代表としても活躍されておられる先生だ 当時の先生は いつもせかせか教室に入ってくる 本来の授業は単調で眠く…

看護学校~樹ちゃんのこと

姉が定時制高校だったのに わたしはのうのうと高校へ行かせてもらったから 大学進学したいなんて とても言えなかった 皆が 受験勉強に身を入れる進学クラスにいる自分は 浮いた存在だった そうかといって 就職にも 前向きになれない そんな折 学校で 看護学…

人生振りかえり 書き始めてみたが 「・・・」 なんか ちがう 本当に 自分の人生あからさまに このブログを使って書き進められるか? それも 正直に いやぁ~ 無理、無理… 人様に言えないことがいっぱいある‼という事に 突然気づいてしまった 母のことは 書い…

先生

むかしのこと 思い出してるねん ふ~ん(興味ない風) で、あの堀江先生(小1,2年担任)のこと 覚えている? 姉ちゃんのこと いつもほめていた先生を 腕をぎゅっと ねじるようにひねられたことしか覚えてへん ナナナ…ッ 体罰やん!それ 悪さをすると 持っている…

忘れられない人たち

小4年 通学時に逢うポニーテルの女の子 5年に 同級生になり 友達になった ふつうの子だった 中学時代 身なり構わない平井さん 小説を 書いていた 時々 読んで!と言われた 平々凡々生きている私には 難しすぎた スゴ~イ!ただただ 恐れ入った 同じく中学時…

昔、むかし

目立つのは苦手 女の子同士の 連れション? 苦手 (あれは 独りでするもの) 他愛無いおしゃべり 苦手 それ、おかしい!と思うと 即 行動! 掃除をズルする男子には 容赦なし 文具店の玉川くん 身体は小さくて ひょうきん者 ふざけて 騒いでいた彼を とっちめ…

小学校1年(昭和30年)夏の思い出

一年生の夏休み 母の故郷(宮城県伊具郡丸森町大内)へ子供4人連れて帰った わたしが生まれた母の実家へ 武生から汽車に乗った 向かい合った座席の下 新聞紙を敷き 姉と私が寝た 夜汽車の車窓 今より全然少ない 灯りが流れゆくのをワクワクして見ていた 眠気…

母の死

8月になり 自分の精神状態があやしくなってきた イライラしてしまう マイペースの父に 何度も起こす母に たまに顔を見せて帰っていく妹達に 母のこれからの事??? 仕事の事 子供たちの事(つれあいの事?そっちは心配してなかったなぁ…) そばで寝ている母の…

在宅で看取る&未知の領域へ

看護師=オールマイティなわけない 当時22年間の看護師経験があったといえど 小児科経験が一番長い 母の看護では 図らずも 母が入院していたF病院の整形外科病棟での経験が一番役に立った 一般的な整形外科(骨折やリュウマチなど)以外に、交通事故や労働災害…

母の闘病3

1993年7月 ちょうど今と季節は重なる 母は 表情も硬く 何度も胃管を抜くというので 手は抑制され 酸素吸入をしていた 「病院はいやや」 「早よ 死にたい…」と繰り返す 幻覚なのか 時々意味不明の事も言う母 主治医の話を改めて聞く 「1週間持たないでしょう…

母の闘病2

1993年1月に母の癌宣告(余命半年)を受け 当時44歳、41歳のつれあいと共稼ぎしながら、短大、中、小学生3人の娘を育てている私ができることは 母に楽しい思い出を作るということしか思いつかなかった 一時退院できた2月 父と母の「金婚式」をする 癌の末期で…

母の闘病

主婦である母は 健康診断など受ける機会もなかった わたしが幼い時 入院したことがあった 一度は 肝臓が具合悪かったから…? もう一つは 中絶?の後 体調悪かったのか… 酔いつぶれている姿の方が 強烈だ あちこち身体の痛みやら いつも不調を言うけど 大抵は…

母の存在

酒を飲んでいる時の母の姿を見るのは 耐え難い みじめだ 低学年の時に 近くの店へ瓶を持って買いに行かされた 量り売りで そんなことも 大きくなると抵抗がある いつの頃からか、近所に 飲み仲間のTおばさんができた Tおじさんは 父と同じタイプで 実直に 油…

母の事

母の事を書こうとすると 手が止まってしまう 母は1921年11月生まれ 1993年72歳を目前に10月亡くなった あと5年で母と同年になる今 母のおもいは? な~んて想像するには ぴったりの年齢になっちゃった でも 決定的な違いがある 戦争経験… あの時代を生き抜い…

夜はこわかった

小学1年の頃 すでに イタイイタイ病、水俣病などがの公害病が発生していたらしい 我が武生の町はどうだったか? 小学校への道中に 武生の大きな産業の蚊帳の工場があった 話声など聞こえない騒音のなかで操業していた工場からは 鼻をつままないと通れない程…

幼いころの姉と私

「覚えている?」と姉に聞かれた 「ほら、よく一緒に物置に入れられたね」 そう言われると 暗い物置で泣いている記憶がよみがえった 姉も一緒だったのか… とにかく姉とは よくケンカをした この指…ケンカの小競り合い中 姉のお腹に突き指したその後遺症 突き…

お前は…

母からいつも言われていた言葉 気難しい 不器用 可愛げのない 次つぎの妹の誕生は 次女の存在を希薄にする 姉は 長女だから何事も目立つし それはそれで嫌なことも多かったと言う でもね 2番目としては 服は新しいものを買ってもらえるし いつも うらやまし…

本の思い出といえば

たま~に 武生から京福電車で福井へお出かけする 百貨店「だるまや」の食堂であの旗の乗ったお子様ランチを食べるのが 子供の頃の 最高に贅沢な時間 その後行った公園に 子供の本が置いてある図書館?があった そこで出会った本~感動の1冊~ 「ミツバチマー…

思い出の中では いつも自分が主人公

父は跡取りの長男を引き揚げ時に亡くしたことで 母を責めただろうか? もう一度男の子をと 父は強く思っていたらしい 私を生みに 宮城県の母の実家へ里帰りした母の元に 送られてきた名前の候補は男の子用ばかりだったらしい そんなことを聞くと 望まれて生ま…

育ったところは

昔を順番に思い出して書くということが 意外にも難しい 私の頭ン中は あれこれと 全く脈絡もなく 浮かび上がったかと思うと 次の瞬間には ス~っと沈んでいくというか 記憶の淵に沈んで行ってしまう ま、ここは順序にこだわらんとこ *** 父は小浜から武生…

生い立ちを書くということは

気持ちがマイナーな時が多い気がする つれあいの体調の原因が分かり 治療し始めたら 以前の夫が戻ってきて ケンカすることがない日が続いている こうなると 「書きたい!」気持ちが小さくなる 夫婦ケンカって 相手を否定するし それは自分を否定することにな…

昔も 災害は多かった…

1948年(昭和23年)6月28日16時13分29秒に発生し福井県を中心に北陸から北近畿を襲った福井大地震の時は 母のお腹ん中にいた 昭和25年9月3日から夜中にかけて若狭湾を通り抜けたジェーン台風の時は まだ2歳(下の妹は生後1か月) 記憶なんてあるはずもないけ…

たぶん…最初の記憶

父の実家は小浜市から もっと山あいのほう谷田部という集落にある グーグルで確かめたことがある 父から 山を越えて町へ出たと聞いた気がする 母によると 食事中に天井から蛇が落ちてくるような田舎だと聞かされていた 私は昭和23年夏生まれということは (指…

ねむれぬ夜に

どうでもいいことあれこれ考える この歳になっても モノにならなかった我が人生と… 前向きな思考の持ち主なら こんな夜は無いに違いない で、昔のことを思ってみた そう、いつか このことを文にしたいと思っていたんだ… *****************…