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ブナ日記

ブナの木が大好き!ブウブウ文句も言ってます、てなことで ブログではブナと名のってます。カメキチのつれです。これは 私的備忘録です。

母の事

想い出

母の事を書こうとすると 手が止まってしまう

母は1921年11月生まれ

1993年72歳を目前に10月亡くなった

 

あと5年で母と同年になる今 母のおもいは?

な~んて想像するには ぴったりの年齢になっちゃった

 

でも 決定的な違いがある

戦争経験…

あの時代を生き抜いたという こればかりは…

それを思うと

書けなくなってしまう

 

それとも一つ

わたしは母に愛されていなかったのでは…との思いが根強くあるから

 

振り返ってみると 姉と対抗意識が強かったのは(独り相撲だったのだけど)

母の関心を引きたい気持ちもあったのではないかと

今なら 思える

 

次々に妹が生まれ

次女の立場位置は 危うくなるばかり

でも 長女は 親にとっては 何事も「はじめて」だ

 

先日会った姉が 

学校行事には いつも母が来てくれ

学芸会では前列に座って見てくれていたと言っていた

姉も (自分は母に愛されていた)と言っていた

 

学校へ行く時の母は 

一張羅の着物をきりりと帯しめて 

いつもとは違って見えた

 

普段は 暑いときならシュミーズや簡易ワンピースに白の割烹着姿

 

低学年の時 担任は 元姉の担任でもあった

何かと言うと 姉の話になった

引っ込み思案で 根暗な私に比べ 姉は人懐こい性格

比較するというのではなかったろうけど

 

姉は よく褒められていた気がする

わたしは 母に褒められた記憶がない

(気がするだけどね)

 

一番忘れられない事

冬休みの登校日 全国の図画コンクールで入賞、副賞の大理石の置時計を貰い

勇んで雪道をよろけながら帰った

母に報告した時 

期待に反して あっさり受け流された

(それでも、その時計は 母の晩年まで使われていたから ほんとは喜んでくれていたのかもしれないけど)

 

姉と歳の近いわたしは 当然 何でもおさがり

姉の来ている正月の晴れ着が回ってきたときは嬉しかったけど

 

母は器用だったから 毛糸で子供たちのセーターなら すぐ編めた

糸は解かれ また別物になって誰かのセーターになった

そんな時の母の手元を 魔法をみるように見たものだ

(母の編み棒は すべてわたしがもらった)

 

父の給料だけでは追いつかなかったのだろう

学校の給食費を 期限に持っていけない事も度々あって

そんな時 子供心に惨めだった 

だから、調子のいい時は 母は編み物の内職をしていて

毛糸巻きの手伝いを よくさせられた

 

当時 武生のような地方都市にも映画館はいくつかあった

家近くの映画館のもぎりのお姉さんと 

なぜか仲良くなった母は 

月末の掛取りの時期は 映画館に籠っていた

そんな事情は知らなかったが

 

そこで「ダンボ」とかのディズニー作品やプレスリーの映画の多く

それから 名作「エデンの東」を観たことを今でも覚えている

 

その前には パチンコ店があり、そこも母の行く場所だった

そこへ入る勇気はなく 母を探しに行っては ウロウロした

 

母は 行く先々で 人と仲良くなれる

美容院も お金がないというのによく行ってセットしてもらっていた

化粧はしなかったが

晩年まで 美容院に行っていた母

多分、その反動なのか わたしは美容院 大の苦手だ

 

父は ギャンブルもせず、アルコールも弱く

楽しみと言えば 宿直室で 同僚と碁をするくらいf:id:buunanome:20150708120427j:plain

母は…

 

夫婦関係が どうだったのかわからない

 

次第に 母は アルコール依存症になっていった

 

だから

わたしは 母を 憎むようになった

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