ブナ日記

ブナの木が大好き!ブウブウ文句も言ってます、てなことで ブログではブナと名のってます。カメキチのつれです。これは 私的備忘録です。

母の闘病

主婦である母は 健康診断など受ける機会もなかった

わたしが幼い時  入院したことがあった

一度は 肝臓が具合悪かったから…?

もう一つは 中絶?の後 体調悪かったのか…

 

酔いつぶれている姿の方が 強烈だ

 

あちこち身体の痛みやら いつも不調を言うけど

大抵は 売薬くらいで済ましていた

アルコールで 身体を壊わしているのは目に見えていても

受診をすることはなかった

 

そのアルコールと 縁が切れる大きなきっかけは

1991年の冬の寒い日 玄関先で倒れ 脊椎圧迫骨折で入院したことだった

近くのF病院の整形外科の入院時の検査で かなりの高血糖を指摘され、内科転科になり 糖尿病の治療が始まった

 

父は注射が大嫌いで 母が注射する時には 何処かへ雲隠れするし 

すでに勘当の解かれた姉も 同居していたが 

母とは未だ打ち解け合えない関係のままだった

 

母は 背中の痛みで 入院後は歩くのも難儀になり

車いすを借りた

 

入院前には 酔いつぶれることの多くなっていた母は 当時料理する気力も体力もなかった

 

父は 自分の事は何とかやれるが

母の食事の用意までは どう見てもムリだった

そんな状況で 退院後の食事管理ができるのかとの わたしの心配をよそに

自分で インシュリン注射するところまで指導を受けて

母は さっさと退院した

 

気になって 週一度は実家に帰って 母の様子を見る生活が始まった

月一度は 子供たちも連れて帰った

祖父母に対して 優しい孫たちだった

 

酒で ボロボロの母はその後 糖尿病性神経障害糖尿病性網膜症などの合併症にも苦しみ、入院生活を繰り返すことになる

 

1992年暮れからは 腹部の膨満感や吐き気などで入院していた

母の書いていたメモ帳には、同室の患者さんが正月で外泊するのに 一人残されて悲しく、不安な気持ちが書かれてあった

 

医者は 父には説明していたようだが 病状を聞いても 父の話では要領を得ず

看護師のわたしを頼りにしていた母は

『一度主治医に話を聞いてくれ』

『手術なんて、絶対したくない』と頼まれ 主治医と面談する

 

正月前の検査で すい臓がんが見つかったこと

手術できるかと さらに検査したが

もう末期がんの状態で 手術はできない

状態が安定すれば 一旦退院する方向で考えているとのこと

ショックだった

末期!とは

 

母へは 

『手術は無しで 良いそうだよ!

吐き気が治まったら、家へ帰れるから』と伝えた

母は 信じてくれた

 

特急サンダーバードで福井まで一時間半

近くて遠いような距離

母の闘病と向き合う日々

 

当時 私は乳児院に勤務していた

勤務した当初は 看護師は1人だけだったが この頃 非常勤

 

看護師の同僚がいてくれたことが幸いだった

この後の経過を 今振り返って

つくづくと思う

 

***今日はここまで

   結構しんどいね

母ちゃん、生きた証 書いているんだよ

f:id:buunanome:20150714155339j:plain その後退院した母と父姉妹

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