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ブナ日記

ブナの木が大好き!ブウブウ文句も言ってます、てなことで ブログではブナと名のってます。カメキチのつれです。これは 私的備忘録です。

母の闘病2

1993年1月に母の癌宣告(余命半年)を受け 当時44歳、41歳のつれあいと共稼ぎしながら、短大、中、小学生3人の娘を育てている私ができることは 母に楽しい思い出を作るということしか思いつかなかった

一時退院できた2月 父と母の「金婚式」をする

癌の末期であることは 母は知らないから 子供や孫が集まる口実を作った

 

腸閉塞気味の母は食欲もなく 車いすで参加

子供、孫達が 食べている様子やカラオケで盛り上げようするのを ちょっと寂しげに見ている写真がある

 

我が家の車は5人乗だ

帰省の折 父母を カニを食べに連れて行ったり

ドライブに連れ出すときは 

私と子供一人は留守番で 実家の掃除をした

「お前が来ると ゴミが多い」

な~んて言われた

 

3月には 大きなレンタカーを借りた

人生で先にも後にも泊まったことのない高額の宿泊代だったが

おもてなしで高い評価のある「加賀屋」に連れ出した

車いすでもOKのベッドのある部屋

ちょっと粗相をしてしまった母は 隠そうとしたりして…

弱った母は 悲しくもあり…

昔気質で 仲居さんへの心づけをしていた母

温泉はどうだったかなんて 全く覚えていないわたし

 

千里浜で 渚で遊ぶ孫達に 笑顔の写真

f:id:buunanome:20150717110401j:plain 母と並んでわたしがいる f:id:buunanome:20150717110253j:plain

       

それから間もなく 食事を受け付けなくなり再入院

食べても 吐き気が強く嘔吐してしまう

自力では動けなくなると 中心静脈栄養にインシュリンなどの点滴ライン、尿の留置カテーテルがつけられていく

福井に居る姉妹達も よく見舞ってくれたし 

週末には わたしも泊り込んで付き添った

 

母に笑顔は無くなり

吐き気が強くなり 胃管カテーテルも入れられ

まさにスパゲッティ症候群

自分の病状について 母だって薄々感じていたはずだが 

自分から言うことはないのを幸い わたしも触れることはできなかった

「治るから」という嘘も つきたくはなかった

 

母の病状をみて この夏越せるかな?という思いは常にあった

夏用の喪服も 母の新しい浴衣も秘かに用意し

その日を迎えるのに

ただおろおろする父を見て しっかりせねばと思っていた

 

そして7月に入って間もなく

職場に電話があった

主治医が 「もって あと1週間です…」と言われたと

取り乱した誰だったかは もう覚えていない

 

事務所で受けた電話に 立っていられず

しゃがみこんでしまった

 

そして 福井へ帰った

その日に備えていたつもりだったのに

「どうしよう…」とうろたえながら

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