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ブナ日記

ブナの木が大好き!ブウブウ文句も言ってます、てなことで ブログではブナと名のってます。カメキチのつれです。これは 私的備忘録です。

母の闘病3

1993年7月 ちょうど今と季節は重なる

母は 表情も硬く

何度も胃管を抜くというので 手は抑制され

酸素吸入をしていた

 

「病院はいやや」

「早よ 死にたい…」と繰り返す

幻覚なのか 時々意味不明の事も言う母

 

主治医の話を改めて聞く

「1週間持たないでしょう」と

末期になってからは 足が遠のき 

顔見せる程度の主治医には

結局信頼関係は築けなかった

 

 この病院は 元 私の職場だった 

(嫌な思い出の方が勝る病院だったけど)

ただ、病棟のM婦長は 信頼できる方だ

頼りに思っていたその婦長からも 同じことを言われた

 

 

部屋に戻って

母を見る

大きな褥瘡があちこちにできている

胃からは 血性の胃液

畜尿パックもかなり混濁している

十分な看護体制の中で見てもらっているとは 思えない

 

母に 「家へ帰る?」と聞く

「帰れるのなら 帰りたい」

 

廊下で 父、姉妹達の困惑した顔

 

「連れて帰ろう!」

勝手に この口が宣言していた

 

1週間…ならできるって

 

こういうヒトなのだ、わたし

よくも考えずに…

 

直感?で行動、反面慎重で、臆病で…

この時は直情径行な性格が前面に出た

カメキチどんとの結婚然り、転職いろいろ然り…とか

まっこと いい事ばかりではない 我が人生‼

 

訪問看護も、介護保険制度もない時代

もちろん、主治医も、婦長も大反対

『それでも連れて帰るなら 病院は 責任は持てない』

 

即 父とつれあいに 近所で往診してもらえる医者を探してもらった

週2回往診可能な医者が見つかったので、主治医も折れた

 

病院と実家は徒歩15分の距離 寝台車を手配して 7月9日(金)午後 母帰宅

****

母の看護日記がある

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このノート 読み返せなかった今まで

 

今回 思い切って読んだ

 

その時々の母の様子が 甦る

 

母を看取り 葬儀も終わった後

泣けて 泣けて みんなの前には出られなかった

 

父が 「なんで泣いているの?」と言った

自分でも うまく言葉に表現できなかった

後悔?

『これで良かったのだろうか?』

その問いは 今も ずっと続いている

**** 

職場へは 事後承諾

切羽詰った状況の中 あれこれ考える余裕もない

もうじき夏休みに入る

つれあいも反対はしなかった

子供たちの気持ちを 思いやる余裕はなかった

 

目の前の母の苦しみを取り除いて 安楽な死を迎えさせてあげたい

その思いしかなかった

 

経口摂取不能

胃管からの経管栄養も吐いてしまう

IVHから栄養補給されていた母の体から

管は すべて抜かれた

 

時間が区切られた今 とりあえず出発進行~!

「大丈夫…?」不安そうな姉妹の見守る中のスタートだった

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