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ブナ日記

ブナの木が大好き!ブウブウ文句も言ってます、てなことで ブログではブナと名のってます。カメキチのつれです。これは 私的備忘録です。

昔、むかし

想い出

目立つのは苦手

女の子同士の 連れション? 苦手

(あれは 独りでするもの)

他愛無いおしゃべり 苦手 

 

それ、おかしい!と思うと 

即 行動!

掃除をズルする男子には 容赦なし

 

文具店の玉川くん 身体は小さくて ひょうきん者

ふざけて 騒いでいた彼を とっちめた

まさか 泣くとは思ってなかった

 

4歳離れた妹

今では 物覚えが 姉妹の中で抜群に良い

一年生の時は 右左、方角が なかなか分からなかった 

先生よろしく 厳しく指導した? らしい

 

彼女が 言う

「シィちゃんは がり勉」やった

 

宿題は ちゃんとやるものと 単純に思っていただけだ

がり勉」と言われるのは 心外だ

知らないことを学ぶのは おもしろい

 

ものすごく 運動オンチ 

以下にならないのが不思議なくらいに…

跳び箱ダメ 縄跳び2重跳びムリ 逆上がり1、2度しか成功していない

かけっこは ビリが定位置

ドッチボールは こわい

水泳 やっと顔をつけて進める段階 もしくは犬かき

 

3,4年受け持ちの小泉先生 みんなで 下宿先にも遊びに行った

ある夕方 家へ来た

 

たまたま聞いた 大人の話

「お妾さんの子」

ちょっと嫌~なニュアンスを 感じた

でも 言葉の意味は 分からなかった

 

ツンと お高くとまって きれいな服を着て 

何かと 見せびらかし 自慢する女の子

嫌いだった

で 作文に 使った

ホンマに イジワルで ひねくれていた と今は思う

 

北朝鮮へ帰った 関さん

いつも にんにくの匂いがした

時々 悪ガキが はやしたてる

臭いのは ちょっと我慢して 受けて立つ

なんせ 正義の味方

 

通りを挟んだ家は かばん屋さん

そこに 姉とわたしの同級生が居て 一緒に遊んだ

おうちに お邪魔した時

奥には 池のある大きな庭や蔵があった

習い事していた 彼女たちのバレェのチュチュが

うらやましかった

貧富の差 それはもう 子供心に敏感

 

後に その家が「部落出身」と聞いた

意味は分からなくても 「お妾さん」と同じ と云うのは分かった

差別、虐げられた人と知るのは もっと ずっ~と 後のこと

その店で買った わたしの 豚皮のランドセルとともに

ちょっぴり 苦い思い出

 

姉のおさがりが 多い

つぎの当たった服を着る時も 多い

「恥ずかしがることはない‼」

それだけ 気にしていた

 

1960年昭和35年10月12日日比谷公会堂で、演説中の日本社会党委員長であった浅沼稲次郎が、17歳の右翼少年・山口二矢暗殺されたテロ事件があった

わたし 12歳 

あの悪ガキどもに ここぞと、はやし立てられた

たまたま苗字が同じだからという理由 

いじめられる側 初体験

「わたしは悪くない!」

泣いたりなんか するもんか!と 

虚勢を張ってがまん、がまん!

 

子どもは 残酷だ

昔も 今も

 

1960年5月24日チリ津波で 三陸が大きな被害を受けた

居てもたってもおれなくて 手紙を書いた

しばらく後 学校の掲示板にお礼の手紙が張り出された

「あれ わたしが書いたんだもん」と 内心うれしかった

かっこつけ!と言われたくなくて 黙っていた

かなり 自意識過剰傾向あり

 

同じころ?小学校で ジフテリアが流行 

7クラスあるうち 何人か犠牲になった

私達のクラスも ひとり

同級生の木村君 意地悪じゃない男の子

信じられなかった

「死」が そこにあることが…

先生から 葬儀に弔辞を読むように言われた

「そんなん ムリ…悲しいのに」

と 尻込みしていたら 熱が出た

ジフテリアの疑い?と言われ 寝ている間に 葬儀は終わった

元気になって 登校したら

木村君の机に 花が置かれていた   f:id:buunanome:20150725104953j:plain

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文が まとまらない

昔の思い出 これだけは書いとかなきゃと思うから

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