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ブナ日記

ブナの木が大好き!ブウブウ文句も言ってます、てなことで ブログではブナと名のってます。カメキチのつれです。これは 私的備忘録です。

新米の看護婦は 失敗の連続

想い出

4月から 看護師として働き始めますが、国家試験の発表がある5月末までは仮免許です

 

勤務先は 胸部外科病棟です

結核菌の排菌のある一部の病室は 厳重なガウンテクニックが必須でしたが 

肺腫瘍や喘息の患者さんもおられました 

朝の申し送りが終わると バイタル測定や結核治療に用いられた最初の抗生物質のストマイ、カナマイの筋肉注射と 栄養剤の静脈注射です

準備して 一回りするのに 半日はかかるのです

 

毎日 お尻に筋肉注射や 腕に静脈注射されているものですから 新米には大変なことでした

筋肉注射は 針がブスッと刺さらないし、刺さった後 力入れて押しても 液が入って行かないし、たまに針の接続部から液が飛び出すなんていうことも…

超気弱な?わたしは 一度刺し損ねると 上手な先輩にお願いして回りました

(見るより慣れろ…なのかもしれませんが、痛いのは患者さんだし)

注射当番は 苦手でした

清拭、洗髪ケアのほうが好きでした

 

勇気を出して 人生初めて ピンクの口紅を薄~くぬって 夕方からの勤務に出た時

即そのことで 男大部屋の患者さんたちに からかわれました

それ以降 (結婚式で 妹のを借りた以外)化粧とは縁のないわたしです

若い方も多く 大部屋は 夕方の処置もない時間帯は 和やかな雰囲気だなと 

当時の新米看護婦は そう思っていました

ほんとは そんなことなかったのでしょうね

結核は、世間ではまだまだマイナーな病気でした

これからのこと 考えてもどうしようもないから

新米看護師をからかったりして 気を紛らわせていたのでしょう

 

1階と2階に分かれていて、夜勤は 手術がある時は3人、普段は2人

夜勤の時 詰所前の廊下の向こうの庭 暗闇に白いものがチラチラ

何だろうと 目を凝らしたら

先輩が 「見んとき、見ると余計喜ぶから…」

何のこと?

今でいう猥褻おじさんのことでした

さらっと言う先輩の言葉に

そんなもんかと、思ったもんであります

 

2階 肺癌で入院中の 「湊軍次郎」さんのこと

夜 家人も帰り 病棟が鎮まる深夜になると 必ずナースコールを鳴らされます

寂しいから

 

「かんごふさ~~ん…かんごふさ~~~ん」と

新米のわたしは 「今行きま~す」と飛んでいくのですが

これといった用もなく バイタルも変わりなし

詰所に戻ると またナースコール

 

あるとき 「そんなにいつもいつも 行かんで良いよ」と先輩看護婦に言われ

行くべきか、行かざるべきかと悩みつつ

インターホンのスイッチONのまま 軍次郎さんの悲しげな

「かんごふさ~ん」と呼ぶ声を 聞いていました

お名前が この歳になっても 頭から消えてくれません

 

ある時訪室した際 

「あんたじゃ、話にならん!婦長を呼べ!」と中年の患者さんに叱られました

何故 怒らせてしまったのか…その時全然分かりませんでした

 

患者側からは 白衣の看護婦は 皆同じに見えます

先に誰かに 何かを尋ねたのに その返事がなくイライラされているところに 

わたしが とんちんかんな受け答えをしたようです

怒鳴られ初経験のわたしは どうしていいやら

オタオタしたあの時のこと 忘れられません

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けれど カメキチどんの入院中 

わたしも 反対の立場で 腹立たしい経験しています

 

聞かれたことについては 必ず返事をする、以後 肝に銘じたことです

 

新米なので 患者さんの気持に気づく余裕はなく 業務をこなすので手一杯

ある若い患者さん 巡回の時は何も言わないのに

そのあとすぐ「気分悪い」とナースコールで呼ばれます 

血圧計持参して バイタルを見に行くけど 変わりない

わたしの 夜勤の時 しばらく続きました

「気が あるんじゃないの、態度に 気をつけてね」と 先輩からの助言

仕事で親切にするのも なかなかむつかしいもんです

 

詰所の横にリカバリルームがあり、術後の患者さんが 夕方入室します

麻酔が切れかけるとき 体動激しくなることもあり、ただでさえ、リカバリルーム当番はビビっているのに 術野に入れた排液のドレーンの先が抜けて こちらがパニック!焦りましたね~

(幸い、わたしは外回りの時でしたが)患者さんが暴れて 

背中の大きな術創が パックリ開いてしまったことがありました

当時の肺切除の術創は 背中を刀で斜めに切り下ろしたかのような大きなものでしたが、それでも麻酔が効いていたのか痛みは感じてなかったようです

Drは 苦り切った顔でその場で再縫合されたのですが 感染することもなくて良かったというか…

 

憧れのI先生は ご自身も結核で肺も切除し肋骨も取っておられ 歩行時 肩が少し下がります

ふだん 穏やかな話し方で 怒った姿は見たことがありません

患者さんはもちろん、看護婦にもとても人気のある先生でした

強敵は 係長です

しなを作って 「ねぇ~センセイ」みたいな感じで

ムムム…と悔しかったです!

 

それでも こんな本読むといいよと わたしに勧めてくださるので

いい仕事しなくちゃ~と 張り切るのでした

 

学校を卒業後 寮は先輩と2人部屋に

交代制勤務は どうしても相手に気を使います

 

5月頃 同級生のイクちゃんから 

「近くの親戚の持ち空き家があるから、一緒にどう?」とのお誘いが!

2部屋に 窓から電車の操車場も見えるところ

願ったりかなったりで 引越しました

ほとんど荷物がないから 楽勝です

 

市内に実家があるイクちゃんは 誰かと一緒なら家を出てもOKというのが 

親からの条件だと聞いたのですが 

何故か イクちゃんは あまりアパートに帰らない日々

 

???

 

ある時 深刻な顔で 相談があると言います

何事かと思いきゃ

中絶するので 付き添いを頼むと

(姉の時と同じです、隠れ蓑に利用されたと後から知ったことです)

 

付き添いましたけどね、なんかなぁ…複雑でした

子供の命も…

 

他人に うまく操られやすいのは 

「自分」というものがないからだと 情けなかったです

その後 イクちゃんはその相手とゴールイン!

だったら…と余計に 空しかったです

 

そんなこともあって、次は、自分で探し 

長屋風共同トイレと台所、窓を開ければ隣の家の壁というボロアパートで 一人暮らしを再スタートです

親へは いつも事後報告 

何も 言われなかったです

 

風呂は なるべく病棟の職員用風呂ですませ

洗濯は手洗いで 部屋干し

日中 陽がささない暗い部屋だけど 

ほとんど 職場に入りびたりの毎日 仕事が楽しかったです

 

IDrに勧められた 北杜夫の「白きたおやかな峰」を読んで感動

就職して初めての夏 美ヶ原から上高地へ2泊3日で一人旅をしました

これまた 行き当たりばったり 

今思えば 帰りの最終バスもなく、宿も決めていなくて 

まったく冷や汗もんの旅でした

でも 自分が考えて 行動するという意味で 思い出深い旅です

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ちょうどお礼奉公の1年も終わるし頃 IDrの転勤の話にびっくり

でも それでふっきれました

 

障害ある子どもの看護をしたい 

愛知県心身障害者コロニーの職員募集に応募したのです