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ブナ日記

ブナの木が大好き!ブウブウ文句も言ってます、てなことで ブログではブナと名のってます。カメキチのつれです。これは 私的備忘録です。

名古屋第2日赤で出会った人②

想い出

内科病棟でも 今振り返ると 個室の多い病棟だった

 

死=ステルベンを略して 患者さんがステルと言う

勤務中に 患者さんが亡くなるのが 妙に続くという事がある

そんな時 お祓いしてこなくっちゃ~と 本気でいうNsも居る

 

わたしは 看護婦人生通して 人の死に目に会う機会が

他のNsより 少なかった

 

夜勤の時 自殺を図り

外来で 胃洗浄をうけて 緊急入院してきた若い女性がいた

それまでにも何度となく自殺未遂を繰り返している

注意して看るように!との指示

 

バイタル測定に訪室すると 

意識の戻りつつあるその人は 体動も激しく 

家族も 泣きながら付き添っていた

 

その夜勤は 本当に緊張した夜だった

 

朝 目覚めたその人は 精神科のDrの診察後

その日のうちに退院していった

その人の抱える闇に 触れることもないままだった故に

今も 忘れがたいのかもしれない

 

この病棟の部長である副院長の方針なのか 

ちょっと裕福な人が多かった

 

副院長への紹介で 外人が入院してきた

英会話はまったく自信がないのに

受け持たされることが多く 参った

メモ帳持参の会話

 

大した病気ではなかったと思う

 

病院食がまずいとか 

肉が食べたいとか 

日本人なら まずありえない要求を出してくる

 

副院長は 患者にいいように

取り計らえという

 

詰所のコンロで 分厚い肉を焼いた

焼き加減まで 注文を出してくる

これが 終末の方なら こちらから 喜んで!させていただく

 

利害関係見え見えの患者さんのために

なんで わたしが肉を調理せなあかんのじゃ~と

今なお 口惜しい思い出

 

1973年8月末に 産休に入る

妊娠が分かってから 子育てしながら

どう働いていったらいいのか…という大きな問題があった

保育園の途中入園は 無理と知り

あちこちの認可、無認可の保育園を探してみたが

空きがなかった

 

11月の産休明けから 長女を預ける先も見つからない

当時 日赤に 託児所は無かった

 

つれあいの給料で生活するなんて 論外であるから

4月保育園に入れるまで 彼が育児をすることに決定

ミルク、おむつ替えの特訓!

 

病院に復帰後 

勤務が終わると家へ飛んで帰り

交替して 主に彼が学校へ行く

そんな生活

 

婦長はじめ同僚のことも 記憶がない

どんなふうに 仕事していたのかなぁ

f:id:buunanome:20151031115244j:plain欅平にて