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ブナ日記

ブナの木が大好き!ブウブウ文句も言ってます、てなことで ブログではブナと名のってます。カメキチのつれです。これは 私的備忘録です。

中部自転車工業協同組合で 事務員として働く

想い出

1974年4月 そこはレトロな建物の1階

事務長、課長、外まわりの多い男性職員以外に4人の女性職員(+わたし)

自転車組合員(日本の自転車メーカー)へ部品や資金の供給をになうのが主な仕事のようであった

新米の事務員の仕事は お茶出し、掃除、書類のコピーや資料作り

いわゆる雑用係

でもね、トイレ掃除は 女性だけみんな平等に順番でしていた

 

そのうち タイプで 伝票も片手で(ポチポチだけど)打つことも覚えた

 

このわたしが タイプしている!

そのことが 我ながら ふしぎで…おもしろかった

 

日本の自転車の性能はいくら良くても 安価な自転車の輸入が増えるにつれて、その頃からすでに、時々来られる組合員の人たちも嘆いていたが、調べてみたら、2003年9月には、協同組合そのものが解散していた

 

言われたことは従順にこなした、根が真面目だからね

徐々に 同僚とも打ち解けて

男性職員が 皆出払って居ない時は

会計を任さている陰の実力者Hさん自ら 読書タイム!

他の人も 編み物や本を 机の下から取り出す

そんなゆる~い雰囲気の中 

わたしも遠慮がちに 勉強したり読書ができた 

こんなんで 給料もらっていいのかなと思いつつ…

ありがたい職場だったね

 

名古屋キャッスルホテル(現ウェスティンゴヤキャッスル)で 

大きな?パーティがあった

当時持っている服の一番マシな服をきて来いといわれた

当日 会場案内など 受付業務をした

 

産まれて初めての、そして最後のパーティ

コンパニオンと言われる華やかな女性がたくさんいて、いわゆるお偉方の面々がゾロゾロ集まった

金の鯱の名古屋城の見える豪華な会場

きらびやかな一団が去ったあと 残り物がたくさん!

もったいな~い!

今なら 廃棄処分だね

たぶん、もったいないからと、みんなで持ち帰ったと思う

こんな晴れやかな世界もあるんだなと 強く印象づけられた 

その後のテレビドラマのパーティ場面ではダブらせてしまう、たった一度の経験である

 

会計のHさんは 演劇をされていて

就業と同時に帰る人だったから 右ならえで

5時に仕事はきちんと終わるのが 看護婦職とは大違い

 

そこから保育園へ 長女を迎えに行く

小さいときはおんぶしてバスと歩いて、少し大きくなり座れるようになったら 自転車の前に乗せて…1時間以上かけての通勤だ

 

わたしも 時々は学校の授業に最低限出席しなければいけない時は

途中で つれあいと待ち合わせ

若く 恥ずかしかっただろうに 

つれあいも ねんねこ姿で 長女をおんぶし、バスに乗るのを見送った

 

職場で お茶出しの時に ポットの湯で手を火傷して

机の下で ずっと水で冷やしていたが、空気に触れるとピリピリ痛く

保育園から家まで 公園の水で冷やしては、背中の娘をあやしながら帰ったのも忘れがたい

(あんなに広範囲の火傷だったけど、後は残らなかった) 

 

長女が小さかったので おんぶとか苦にはならなかった

あの頃 いったい何を食べていたのかな?

 

もちろん、銭湯だ

コンビニなんてない時代で 買い物は 歩いて15分くらいの公設市場

 

休みの日は 買い物や 動物園にも 哺乳瓶持参で出かけた

 

つれあいは 大竹書店(医学書・歯学書・看護学書などの医療関連書籍の専門店)で Oさんと一緒に 愛知県の病院などへの本の配達が主な仕事

 

残業はなく、学校を続けることへの理解もあり 給料は少ないと言っても それだけの働きしかしていなかったと思えば かなり優遇されていたのかもしれない

2014年大竹書店は 創業100年を迎えたとのこと

 こんなに立派になっているらしい

 

Hさんに勧められ キラパジュン(チリのフォルクローレのグループ)を知った 

1973年9月11日チリ・クーデターの際にヨーロッパ公演中だったキラパジュンはフランスに亡命。フランスを拠点にレコード録音やコンサートの活動が繰り広げられ、日本も含め、海外公演を盛んに行っていた

その日本公演を生で聞いた 

ものすご~い 衝撃だった

 

長女のお気に入りで、レコードをかけると いつも喜んでいたんだよ

つれあいが亡くなった時に 流してほしい曲なんだって!

よろしくね