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ブナ日記

ブナの木が大好き!ブウブウ文句も言ってます、てなことで ブログではブナと名のってます。カメキチのつれです。これは 私的備忘録です。

名古屋の思い出

一番最初に住んだのは(妹と) 昭和区御器所

結婚後は リヤカーで引越した

昭和区川名町6丁目10-1(だと つれあいの記憶)

長い間 記念だからと本籍を移してなかったので 彼の運転免許はそうなっていた

一応玄関を入って 3畳の台所と6畳の部屋

トイレは 部屋の外に出る

じめ~っとした裏庭?降りたこともないけど

お風呂は 近くの銭湯へ

 

夫婦ケンカした時 どこをどう歩いてか 大きな神社に出た

そこの池の淵で この結婚は間違っていたのかなとか 泣きながら 暗い夜道を歩いて 病院まで行き 仮眠室で夜を明かしたこともある

 

名古屋は 雪は少ないが 底冷えがして 水道管が凍ってしまうこともあった

 

そこは 子供はダメという条件だったので

妊娠が分かってから また引っ越し

この頃は 所帯道具なんて知れていたから リヤカーでまた引っ越し

 

千種区高松町の横長長屋の道路側

間に板の間が少しあって つれあいの職場のOさんから貰ったゆりかごを置いていた

台所は トイレから出た廊下に付け足しで作られたような狭さ

畳の部屋と板張りの部屋

ここに移ってからおむつの洗濯もあるからと洗濯機を買い 土間に置いた

こたつも買ったけど テレビはない生活

 

もちろん、風呂無し

長女が生まれてひと月は ベビーバスでお湯を沸かし 毎日入れた

義母は 産後退院してから1週間 家に来てくれた

あの頃 布団1組で2人が寝ていたので 義母の分はもう一組あったんだっけ?なんて 今頃思う事がある

親のこと 気づかいする余裕もなかったねぇ…申し訳ない

 

銭湯に行くにも たいてい つれあいは学校 

わたし一人で 対処していた

湯冷ましか、果汁の入った小さい哺乳瓶持参

一緒にお風呂に入り 先に娘を出して台の上に寝かせ 哺乳瓶をあてがって さっと体を洗い出る、それでも事故もなくやれたのは 銭湯でも温かく見守ってくれていたからかもしれない

 

長女誕生の頃 第一次オイルショックで 店頭から粉ミルクやトイレットペーパーが無くなるという混乱に 我が家も巻き込まれた

長女は 森永ヒ素ミルクの後でもあり、森永ミルク以外の、中でもちょっと高いミルクでないと飲んでくれなかったので、確保するのにひやひやしたものだ

それから 何でも余分にストックしておかないと落ち着かない性分になった気がする

 

長女がハイハイする頃 同級生の結婚式や デモにも参加した

みんなが雑魚寝する中 ねんねこにくるまって寝ている娘

同級生に 可愛がられていた

 

夕食は 近くの鉄板焼きの焼きそば屋さんへも よく行ったね

美味しかったな

 

保育園入園時 決まったサイズのお布団を用意しなくてはならず 

近くのお布団屋さんで 可愛い紅い生地で誂えたのを その後長~く使っていたね

 

日々の買い物は 少し遠い 公設市場へ 

元古井公設市場の外観 今でもあるんだね

休日には 動物園や今池のユニーへ 買い物に行った 

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寒い日 よちよち歩く娘と 手作りの緑の毛糸で編んだカーディガンに赤い毛糸の帽子をかぶり 凧揚げもしたね

 

今 地図を見ると かなりの遠さだけど

自転車や歩きで 保育園、勤務先、買い物と移動していたと知る

若いって すご~いなぁ

 

もう 私たちの記憶の中の町とは 全然違う名古屋の街だ

 

つれあいは いつか行こう!と しつこく言っている

わたしは 行かなくていいと思っている

 

頭ん中に ほら こんなにいっぱいあるから

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