ブナ日記

ブナの木が大好き!ブウブウ文句も言ってます、てなことで ブログではブナと名のってます。カメキチのつれです。これは 私的備忘録です。

福井病院③

福井での3年間 良かったことの一つは 

父とつれあいの関係が グンと深まったこと

古いオートバイを譲られて 二人で遠出していた

息子が欲しかった父にとって かなりうれしかったはず

 

今も わたしの知らない父のこと 

つれあいの方が良く知っていたりして

そんな時は ちょっぴり妬ましい

 

一方 母にとっては 頼りない婿のまんまだったと思う

***

内科の混合病棟のN婦長は(サッカーの澤さんに似ている)姉御肌で

細かいところには 拘らない

組合がどうのこうのと ネチネチ言う人ではなく 

仕事を きちんと評価してくれた

歳もちかく 自然に 打ち解けて話せるようになった

 

もう一人 心情的に 以前から陰で応援してくれていたM婦長も居た 

嫌なことがあっても 

一人でも理解してくれると思えるだけで 

気持ちが 安らぐ

 

ただ Drに関してはね、患者さんへの対応に?と思う事もあった

 

ここは 2交代制(日勤と昼から出て朝まで勤務)だった 

長女の迎えには 当時名古屋から戻っていた妹に 

またもや お世話になってしまった

アルコールを飲んでいた母も 孫がいる時は それなりに気を使おうとはしていてくれたようだけど 父や妹が居なければ やっていけなかったと思う

まわりに どれだけ助けてもらっていたのか 

今感謝しているほどには 当時、自覚していなかった気がする

能天気なものだ

今、娘たちを見ていると そんなもんだろうなとも 納得!

***

当時の患者さんの中で 忘れがたい人が居る

石丸さん パーキンソン症状で 無表情で動作に時間がかかり

たぶん 入院で認知機能にも影響が出ていたのかも

 

上下病棟の 下に 詰所があった

ナースコールで 尿意を訴える回数が 半端な数ではなく

側のポータブルへ移動介助に行って戻ってまたすぐ ナースコール

看護師も またぁ~とげんなりする

尿は ほとんど出ない

嫌な顔をしてはいけないと 思って介助しているつもりでも

無表情で ねぎらいの言葉一つもないと 

知らず知らずに 介助の手が ぞんざいになってしまう

時には わざと看護婦を困らせんと コールしているのかななんて…

 

そんな石丸さんのことを 疎ましく思う自分にも自己嫌悪しつつ気になって、気になって…

ある時 ふっと 反対の立場になったら どうなん?と思った

 

なりたくてなったわけでもない病気で 体が思うように動かず

カーテンで仕切られた 狭い空間で

音や臭いも気になるような プライバシーもないところで排泄するって

そのうえ、看護婦から嫌そうな態度で 物言われる

 

あかん、あかん!

まだまだ未熟な看護婦だなぁと おおいに反省したのだった

 

癌で固形物を受け付けられなくなっていた松本さん 

当時の病院食は 各症状に合わせ まだ細かい配慮がなかった

高齢の松本さん 自分でミキサーを持ち込み 

出た病院食をミキサーにかけ 流動食にして 

少しでも食べようと頑張っておられた

 

同僚の親戚だと知ったのは その方が亡くなられてから

お世話になったから なにがしかのお礼をしてほしいと 

同僚に 頼まれたらしい

ぜひ、何かもらってくれと 強く言われて 

「中華鍋」をもらった

 

松本さんに 具体的に何かしたという覚えは無く

ただ お話を聞いただけ

死を前にして 

毅然と 生きんとする姿勢に 圧倒されていただけなのに

 

中華鍋を使う度に 松本さんのことを考えた

あの中華鍋 大津へ越してからも 永~く 使わせてもらったなぁ

 

一部は 眼科病棟 

そこだけ 丸一日勤務

子どもたちの顔を 見れないのが嫌だった

当時の白内障の手術は 今と大違い 術後厳重な安静が必要

付き添いがおられ、バタバタする病棟ではなかったのは良かったけどね

***

1978年4月 つれあいは6か月の次女と4歳の長女を置いて京都へ

京都では一間のボろっちぃアパート

自分の生活費は チリ紙交換の仕事や西友の掃除(これは短期間)で稼いだ

 

そうそう、車の免許をとった時 青い中古の軽自動車を買ったんだったけどね、どこも連れて行ってもらった覚えがないんだよね

月一度は チリ紙交換の軽トラで帰ってくる 

その車で お弁当を作ってお出かけ(たけふ菊人形や平泉寺とか…)

 

後日談だけど、一度帰る途中の敦賀近くの道で 事故って車大破したことがったんだって

チリ紙交換の会社の人にいろいろお世話になったらしい

ケガしなかったのは 幸いだった

あの頃から 車の運転下手だったんかも

 

乳飲み子と4歳児、銭湯とか実家へ 自転車の前後に乗せお風呂をもらい通った

一度 砂利道で自転車ごと倒れた

二人にはケガが無くて良かったが わたしの方足に傷が残るくらい、痛い思いをしたことがあって、無性に悲しかった

かと思えば キラキラ雪が舞う中二人を連れて歩く道は楽しかった

長女は 小さい頃から食が細く、からだも小さかったから 少しでも食べさせねば、と思い込んでいたから いろいろ言いすぎることもあった

とっても困ったのは 仕事に行く時間が迫るのに いつまでもご飯を食べきれず、焦って、出がけになだめたり、叱ったりしてしまうことがたびたびあったこと

ひとりで あれもこれも、よくやれたなぁと思う反面 

長女には いい 母親ではなかった

 

保育園で描いた絵が 何かのコンクールで入賞

仕事で行けないわたしの代わりに 

珍しく素面の母が 表彰式へ行ってくれた

どんな絵を描いたんだろう?と ワクワクして見に行った

緑のクレヨンで 用紙いっぱいに描いていた

心理学的に ちょっと問題? 

少し気になったけど

当人の屈託のない笑顔に 考えすぎだと思ったり…

 

保育園へ迎えに行った時 ニコニコ飛んできた娘が急に苦しそうに

なにが??

おやつにもらった飴玉を 喉につまらせていた

無我夢中で 口の中に手を突っ込んで 吐き出させた

あの一瞬 今でもありありと思い出す

寝る前の絵本読みは 罪滅ぼしだったのかも

おかげで 4歳で 字が読めるようになった 

 

一度 彼のボロアパートへ行ったことがある

4人ごろ寝した

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広島の母校で教育実習もこなし 

当然教師になると 信じていた

 

ところが、

電話で 「ぼく 養護施設で働こうと思う」

ええっ~ なんじゃソレ! 

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