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ブナ日記

ブナの木が大好き!ブウブウ文句も言ってます、てなことで ブログではブナと名のってます。カメキチのつれです。これは 私的備忘録です。

大津へ

教育実習もちゃんと故郷の中学校で終了 

あとは教員試験を受けて…のはずが なんで?

そんな大事なこと 電話で済ませるなんてね…

 

もう 面接も済ませてからの事後報告❕

 

戦後まもなく始まったラジオドラマを聞いていて 

漠然と 子どもたちを相手に働きたいと かねてより思ってはいたらしい

大学入学前しばらくは 広島の町の少年たちの良き相談相手としての交流もあったらしいし あながちやけくそで決めたとも思えない

「鐘の鳴る丘」とは、戦災孤児たちの共同生活の施設が丘の上のにあり、とがった緑の屋根の時計台に鐘を備えているというドラマの設定で ≪緑の丘の赤い屋根 とんがり帽子の時計台 鐘が鳴ります キンコンカン メーメーこやぎ もないてます 風がそ ...≫の歌詞は 私も聞いていた口だから よく覚えている

復員してきた主人公と、信州の山里で共同生活を始め、明るく強く生きていくさまを描くいたドラマ。日本全体が苦しかった時代、大人子供を問わず多くの人の共感を呼び、大ヒットとなった。

いつまでも 離れ離れの生活をするわけにもいかず

大津と言うのは 福井と広島の間をとった距離感も 彼なりの心遣いと良いほうに思う事にした

 

1979年3月 つれあいは 小鳩幼児院に指導員としての職に就いた

当時の院長の先見の明があり、女の職場にも父親的な存在も必要だとの考えで 求人を出していたのを たまたま我がつれあいの目に留まったのだ

 

それから33年間ちかく 勤めあげることになったのだから 縁があったということやね

 

私たちが この地に来たのは 1979年4月2日雨

うっとおしい天気の中 部屋に入れば 荷物が荷ほどき去れないまま置いてある

これからの事を考えて 憂鬱な気持ちになったことを

今でも 強烈に覚えている

2度と わが故郷福井へは帰ることもないのだと…

 

でもね、生活があるから

とにかく 子供を預ける先を探し

就職先を 見つけなきゃならない

4月なので 保育園は定員いっぱいで もう入れず

大津赤十字病院の近くの私立寿幼稚園に運よく入れた 

 

子連れで 託児所のある大津日赤病院の面接を受けた

面接が済んで 子どもたちと裏の長等山から町を眺めた

どうか ここで働けますようにと願った

 

5月の連休 子どもたちと比叡山に行く

琵琶湖が見えた 

遅い桜もまだ残っていて シャクナゲがきれいだった

 

ここが 今から住む場所なんだと あらためて思った

 

5月16日 電車で2駅 長女を幼稚園に送り

大津日赤の託児所に 次女を預け

小児科病棟へ初出勤

 

つれあいは 夜勤はないが 早出、遅出、日勤の変則勤務

居ても居なくても もとより当てにできるわけでもなし…

 

大変だったんだよ、毎日

 

準夜勤務は 免除してもらったが 代わりに深夜勤務が多く

その深夜勤務の前は 公休扱いになるので

まるまる休んだ気がしない

そんな勤務に 身体が先に悲鳴を上げ 1か月後 高熱でダウン

心配した松井婦長が わざわざ家まで差し入れを持って訪ねてきてくれた

ありがたかったなぁ~

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憩荘アパートの2階に住んでおられたおじいさんに よく遊んでもらっていた娘たち

(わたしが夜勤明けで 正体もなく寝ているときにね…たくさんの人に 助けてもらっていたんだね、感謝!)

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