ブナ日記

ブナの木が大好き!ブウブウ文句も言ってます、てなことで ブログではブナと名のってます。カメキチのつれです。これは 私的備忘録です。

こころの中で生きているこども達のこと③

深夜勤の朝5時 まだ眠そうな子供たちにごめんね、と謝りながらの採血

白血球が減少中なら 毎日 採血の指示が出る

何度も刺すため 硬くなって 採血しにくくなってくる

 

もう 諦めているというのか 健気に腕を出してくれる

長期入院の子どもたちは 素直すぎて…

罪悪感さえ感じながら 仕事をする

 

幼稚園児のU君 ステロイドでまあるくなって

腕は内出血で まだらになって

なかなか血管に針が入らず さすがに3回目には泣き出す

そうだよね、いやだよね…

自分は 採血2度挑戦してもダメな時は 相方にお願いすることにしていた

 

高校受験まじかの中学生 

個別にベッドで出張授業を受け勉強に励んでいた

県内トップの進学校に合格した時 DrもNsも、みんな喜んだ

 

貴田大輔君 

彼のお母さんとは 今でもともだち

 

私が就職するずっと前から リュウマチ熱での長期入院生活

A群溶連菌に感染して後1~3週間に生じる全身性の非化膿性疾患の一つ。

特徴として結合織の炎症が関節、心臓、血管、神経等を冒すとされる。

特に心臓では弁膜、心内外膜、心筋が好発部位であり、5~15歳が好発年齢である。

大症状として心内外膜、心筋の全ての層が炎症を起こす。関節炎は移動性・多発性で疼痛発赤腫脹圧痛を生じる。また小舞踏病(四肢、体幹、顔筋に起こる不随意運動)や無痛性の皮下小結節を小児において多く発症し、体幹・四肢近位の皮膚に移動性の輪状紅斑も見られる

 

2人部屋で 日中は祖母が 夜は 母が付き添っていた

離れ離れの生活が 家族関係を壊してしまったのか

両親は離婚

大ちゃんの兄が わが娘と同じ年と分かり、お母さんも 同じ歳だと分かって親しくなった 

とってもきれいな人で 愚痴をこぼすこともなく サバサバとしたところがあり 6か月早生まれだから 姉みたいな…頑張っている彼女は 憧れの人だった 

ステロイドでプックリまぁるいお顔の大ちゃんは 病棟の人気者

 

でも大ちゃんの様態は だんだん悪くなった

夜勤時 仕事で疲れて付き添う彼女にインスタントコーヒーを

公私混同…だったかな 

 

それから 少し持ち直したかのようだったのに

その日 受け持ちになった(よりによって、私が受け持った日に…)

喘鳴が強く 鼻から吸引したら出血… 

DIC症候群の症状だ

すぐ Drへ報告

 

その日の夕方 大ちゃんは召された

竹下部長が 最後まで優しく付き添っておられた

 

竹下Drの思い出には もう一つ忘れられない場面がある 

部長になると 夜間の当番から外れるのだが たまたま当番に当たっていた深夜 新生児の呼吸が急変し 呼び出された部長は 口では こんな年寄りを酷使してとか言いながらも 他に仕事のある私に代わって ずっと最後まで(蘇生の甲斐なく 命の灯が消えるまで)保育器の中の赤ちゃんに 優しく語りかけていた  部長を見直した瞬間だ

 

ちょうど義母が来ている時だったので 居残らせてもらった

彼女を思って 泣きに泣いた 悲しい一日だった

 

DIC症候群とは 元来、正常な血管内では、血管内皮の抗血栓性や血液中の抗凝固因子のはたらきにより、血液は凝固しないような仕組みをもっているが 播種性血管内凝固症候群(DIC)は、さまざまな重症の基礎疾患のために過剰な血液凝固反応活性化が生ずるため生体内の抗血栓性の制御能が十分でなくなり、全身の細小血管内で微小血栓が多発して臓器不全、出血傾向のみられる予後不良の病気

 

もえちゃんのこと

水頭症の症状がすすんだもえちゃんの頭は

大人が 一抱えもあるくらい大きくて 寝返りさえ自力では無理だった

それまで何度も行われたシャントの入れ替え手術も 効果なく

嚥下も困難になってきた

当時京大から派遣された主治医の若い女医

安楽死

そんな話し合いも一切無い中で「延命治療はしません!」と宣言

輸液もすべて中止 

水分摂取も 誤嚥するから禁止との指示

清拭や褥瘡予防の体位変換と バイタルチェックのみ

 

付き添う母の表情は 日ごと無表情に

いたたまれない 

せめてと唇を湿らせると

ちゅぱちゅぱするもえちゃん

かすかな表情の変化だって あるのに

もえちゃんの気持 どうなん?

死ぬのを待っている?

 

でも わたしには 何もできない、言えない

 

それなのに、だ

心停止の瞬間、延命治療はしないと言った女医は

心マをしたのだ

母の前で…

何なの!

猛烈に 腹が立った

 

ある研修医の診ていた子供の急変に 

研修医を指導する立場にいた女医は 

声を震わせ 「あなたの責任…」とばかりに詰問した

彼女が亡くなったのは 引継ぎを終え

眠い目をこすりながら カルテに記入していた時だった

 

am4時 看病に疲れ そばで熟睡している両親

そんな中 ひとり目を開け 

じっと バイタルチェックする私を見ていた子

あの時 何か言いたかったのかなと

今でも 思う事がある

 

「お払いに行こうかな?」と本気で言うくらい 

勤務中 死の場面にあう回数の多い人は 実際いた 

看護婦としては少ないわたしでも 忘れられない人たちはいる

名前を覚えていなくても その時の状況はありありと思い出せる

 

今 元気だったのに 急変して あっという間に…

 

けいれんで外来受診後入院のその子は am3時の巡回には 母と会話していたのに 一巡する間もなくナースコール

けいれん発作が始まった

その日 主治医もそこまでは予想していなかったのだろう

点滴もない、様子観察だけの入院だった

すぐ 当直医に連絡し 指示を仰ぐが けいれんは止まらない

点滴ラインが けいれんの為かとれない 

Drの顔も ひきつってくる

身重の主治医を深夜に起こすのをためらったが 電話してみた

当直医に任せると…

 

5時過ぎ やっとけいれんは止まったが 意識もうろう

さすがに主治医も 早く出勤してきた

申し送りする頃 また急変し そのまま帰らぬ人になった

 

それ以外にも けいれんで治療の甲斐なく…という経験が

他にも2例経験している

けいれん、医療の進んだ今なら どうだったろう?

 

医療過誤スレスレの事例もある

例の女医の 夜間喘息で入院してきた子どもへの薬剤の指示

mgとcc 

ふだんと違う指示に 気がつかないままなら…

我が人生 どんなことになっていたやら

 

小児科勤務5年

折しも 他の病棟への移動を打診された

深夜勤務月7~8回 

身体も 限界

深夜入り前日は 公休と年休に当てられ 休んだ気がしない 

信頼できないDrとともに 仕事をする苦痛がある

 

気の合った同僚もいたが 

彼女も 見切りをつけようと考えているところだ

 

つれあいの職場では 乳児院に 看護婦の求人があると聞いた

わたしも 36歳、転職の機会も最後かもしれない(最後にはならなかったけどね)

 

てなことで 1984年5月病院を辞めた

 

今でも 口惜しいことがある

1979年5月16日から勤めたので、自分にはキリのいい16日付で退職届を出した。

有給はずいぶん残っていたが 辞める手前仕方ないと思っていた

まじめ?だから全部消化して、なんていう考えに至らず…

 

ところがである

31日付なら 夏のボーナスが丸々もらえたのに 全然もらえないと後から知ったのだ

婦長も、

事務方の職員も、

だれひとり そんな大事なことを言ってくれなかったのだ

 

そんなに16日にこだわったわけではないのになぁ…

 

こんなに年月が経ってもなお お金の恨みを引きずるわたし

こわ〰っ‼

 

1984年6月 小鳩乳児院の就職する

こどもは かわいい~~

けど、大人はこわい

人間関係 死ぬまで勉強!

ここでも いっぱいドロドロありすぎて とてもとても

今は 思い出すのも嫌だ

 

こどもたちの思い出は 財産…こころのなかにとっておこう❕

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***ただ今 パソコン待ち受け画像です***

 

今日も 虐待のニュースが…

こんな笑顔に 向き合えない大人たちが居ることの方が 信じられない