ブナ日記

ブナの木が大好き!ブウブウ文句も言ってます、てなことで ブログではブナと名のってます。カメキチのつれです。これは 私的備忘録です。

姉の誕生日で ひらめいたこと

2月2日で 71歳になる姉へ 着られるか(小さいような…)気にはなるが 前開きベストなどの小包を送った

f:id:buunanome:20170130111116j:plain f:id:buunanome:20170130111237j:plain派手派手ストールもつけた

f:id:buunanome:20170130111717j:plain 残り糸消化の為 自分じゃ絶対被らない帽子も入れた

これね、編み方変わっているのが 手芸に縁のない姉には 分かってもらえへんな、きっと

 

今まで一人暮らしの姉を誘って 共に旅してきたが

昨年 姉妹が集ったとき 「ちょっと ねぇちゃんに甘すぎる!」と妹たちにつっこまれた 

昨年夏に離婚してで戻った息子と同居し始めた姉からの電話は それまでとは少なくなったし、いつも明るい声だ

 

今年は そんな姉の変化にちょっと安心もしている

 

姉は いまだ 外食チェーンの厨房で若い人たちに交じって バリバリ働いている

仕事が 生きがい!を地でいっている人

バリバリ?働いていたわたしは つれあいが怪我してからは 

こんなダラダラの日々 

時々引け目にもなるほど 姉や妹たちは凄いなとおもう

もう 複雑な人間関係の中に入っていく気力もない・・・

 

*****

姉は 旧正月に生まれて名がつけられた、と聞いている

何気なく聞いていたその事で考えたこと

 

母は 満州の引き上げの途中 「チンナンポ」で姉を出産

今の北朝鮮の南部の町…それを聞いたときに 日本地図で確かめた

 

逃げる途中に かろうじて持ち出せたものは 食べ物に

母が持ち帰ったものは 結婚式の写真と、亡くした兄と、青春の思い出の何枚かの写真のみ

母が わたし達に話したのは 楽しかった思い出ばかり

 

高校生の時初めて 満州からの引き揚げ体験記を読んだ

アンネの日記や 戦時中のことを 本から知った 

引き揚げ道中は 悲惨そのもの 

女は 顔に墨を塗り 髪も切った

 

母が決して語らなかった その頃のことを想像する

 

だいじな長男を亡くした

年子の兄は 引き上げの途中で 栄養失調で死んだ

凍った土で 兄を埋葬することも出来なかったらしい

 

日本へ いつ帰れるのかも分からない状況で

満足に乳も出ない中 姉をかかえての逃避行

 

あぁ~、つらかったやろな

 

そういう戦争体験と 母がアルコールに逃げたことと 多分に影響はあるのだろうなぁと 母を亡くしてから 腑に落ちた気がする

母が生きている時に 母のこと もっと理解してあげられたら 良かったな

 

で、パッとひらめくように 思った

こんな悲惨な状況の中 姉が71歳の誕生日を迎えることが出来るのは

あの引き上げの時に 周りの人たちに少なからず 助けられたはずだという事を!

でなきゃ、姉の命も 下手したら出産で 母も命をなくしていたかもしれないのだから

 

母は 一人じゃなかった

 

わたしだって

他の人だって

一人じゃ生きてゆけない

なんで こんなこと ついつい 忘れてしまうんだろ、な

 

こんど 姉と顔をあわせたら 偉そうに 言ってやろう!

 

それにしても 

母が生きている時に 兄を亡くした土地に連れて行ってあげたかったなぁ

 

*日本植民地時代は鎮南浦と呼ばれたが,独立後1947年に南浦と改称した

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